人生において重視してきた価値観がわからないまま社会に出てしまったのは反省点である。就職に際して経験を振り返って自分の起源を見極めるのには、時間と能力が不足していた。卒業の 2 年前から行動しても時間が足りず、またその瞬間にこなすべき課題などと並行して結果を出すには能力が不足していた。
振り返れば、幼い頃から家と学校以外で所属していた団体が周囲の子に比べて多かった気はする。私の住んでいた地域はどの駅にもバスや自転車で20分程度かかるという絶妙に不便な町だったからかもしれない。東京に隣接しているからといって必ずしも便利な生活を享受できるわけではなく、だからこそ少々文化に遅れが生じていた節もあった。
閑話休題。
ともかく、義務教育期間中に運動に勉強と様々な団体で時を過ごした。幼稚園から始めた水泳でさえ、高校で水泳部に所属するまでに 3 つのクラブを転々とした。今でも繋がりのある関係を学校の外で築けたのは大きな財産であろう。また、学校内での人間関係から発展した習い事もあった。学習塾やマーチングバンドがそうだ。
水泳を始めたきっかけは、水中で前回りをすることやあらゆる泳法の会得への憧れだと記憶している。また、普段生活している陸上以外にも抵抗なく入り込める別の世界に興味があったのも大きい。つまり、水泳はそれ自体に興味を持っていたからこそ始めるきっかけとなったのだ。
ここで疑問となるのが、特に勉強が好きでも金管楽器に憧れていたわけでもないのに挑戦した塾やマーチングへの加入である。これらには、普段共に過ごす時間が長い人間のうち、自分に足りていない能力を持っていてどこか尊敬できる人が先に所属していたという共通点が存在する。彼らが中学で所属していた野球部は人数が足りずに練習試合を組むこともできなかったため、その助けとしてさほど興味のなかった野球をちょっとかじったほどだ。この流れに乗じて他にも数名野球部に入部したために、私がおらずとも練習試合ができるようになった。それからは本命だった水泳に集中するという名目で部活を休むことが多くなったことにも私の行動原理が表れているが、こちらはまた別の話にて。
たまたま彼らとは小中学校を通じて最も仲の良い関係を築けたが、これは私が自覚していなかった敬意の結果なのだろうか。
おそらく半分は正しい。他にも仲の良い友達は何人もいて、登下校を共にしたり学校で一緒にオタ芸の練習をしたりした。それらも間違いなく楽しい記憶の一つであるが、その時に一緒に笑った彼らとの間に、今では少しの断絶を感じる。
一方で残りの半分は、相手も私のことを認めてくれたからではないだろうか。互いが認めあったからこそ本音で語り、良好な関係を今でも維持できているのだとも思う。実際、学校の外の人間関係である水泳クラブのうち今でも連絡を取れているのは、少なくとも私が尊敬できる特技や経験などを持っている人たちである。また、相手も適度な距離感を持って私と接してくれるからこそ、思い出したときに気軽に連絡を取り合えるのだろう。
このように良好な関係を築けた人が所属している団体は、その人がその団体に見出した価値があることを保証してくれている。
相手を尊敬し、かつ相手と釣り合っていると互いが感じている関係こそが、人生に潤いを与えるのだ。なぜなら、このような関係の下では、知り合いが所属している団体に興味を抱くし、相手側も私との時間が占める割合が増えても拒否反応を示さないからだ。そうして新たに所属した団体の中で他にも尊敬できる人とと出会い、また新たな団体に所属するきっかけを与えられる。この連鎖が豊かな経験の源泉となると、無意識に私は学んでいたのだ。