本日のお悩み
私が毎回感心する話の構成がある。本当に言いたいことを後ろに置き、それに類似する構造を持つ身近で想像しやすい別の話題を提示する構成だ。
これを実際に行うには、話したい内容の伝えたいことや苦しんでいることを予め自分なりに構造化する必要がある。加えて、前座のお笑いの引き出しを潤沢にすることが不可欠だ。
コンピュータが得意な「計算」を考えよう。私は 27.8 × 0.87 を暗算で 5 秒以内に求めることはできない。これを行う一般的な手順として、
- 0.8×0.07=0.0056 を記憶
- 7×0.07=0.49 を記憶
- 20×0.07=1.4 を記憶
- 0.8×0.8= 0.64 を記憶
- 7×0.8=5.6 を記憶
- 20×0.8=16 を記憶
- 上記全てを足す
といったものがある。上記は一般的な筆算の処理と等しく、小学校で誰もが習う計算方法である。あなたも実感するように、このように明文化すれば全く難しい点はない。しかし、7つの数値を記憶し、その上で足し算を行うことは容易でない。繰り上がりも考慮しなければならないので尚更だ。
閑話休題
つまり、人間はいくつかの物事を記憶し、それらを並列に処理することは苦手なのである。
新たなものを生み出すために私たちが一瞬だけ記憶し、活用できる情報量に限りがある。すなわち、我々はある程度の情報を活用できるように、常にストックを持たねばならない。
これが自分の中から瞬時に湧き出る人であれば大した問題にはならない。しかし、私の場合は型が確立していないために、より多くの人が面白いと感じられるように外部で整えられた型を活用することが、限られた時間の中で最大の効用を実現するために不可欠な作業だ。あらゆるテストに時間制限があるのと同様に、人生もある程度の時間しか猶予がない。自分に残された時間に限りがあるのに、こちらの都合で待ってくれる赤の他人がいるだろうか。少なくとも私は、ぱっと見で是非助けになりたいと思える人以外には貢献できる自信がない。
今回の件で私が学んだこと
人生で重要なことの 9 割は公立中学卒業までに触れられる機会があるが、それらを真に自分のものとできずとも時間は過ぎてしまうということ。