我々は内に秘めた情熱を持っている。だからこそ、一見これまで特別な情熱を抱けなかったように見える時間を過ごして今に生きている。
この理論で他人から評価されるのが就活なのだと近頃痛感する。実際に自分で考えて行動し、それと真摯に向き合うことで得られた経験を問うてくる。
これはもっともな言い分である。「欲しいものがあるからアルバイトでお小遣いを貯める」のと全く同じ動機だ。
一方で残酷な面を持ち合わせる。上記の例が真であるなら、その対偶もまた真であるからだ。つまり、「お金が足りないから何かを諦める」というのは、その程度の情熱だったのだと周囲から判断されても文句は言えない。
だからこそ、自力でお金を生みだすことを認められた環境になったのなら、何を差し置いてもこの環境に適応するように行動せねばならない。世間を見渡せばいくらでもある稼ぎ方の中からアルバイトを選んで継続している学生で言えば、他人が要求する給料で自分の時間を切り売りすることに同意していることに他ならない。